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塾・予備校の話、広告を全部疑ってしまうのです

塾・予備校の話、広告を全部疑ってしまうのです

(失礼を承知で)
  • ホームページに書いてあることは本当ですか? 
    誇張はありませんか?


いくつかのご相談をまとめました
 

私たち世代は、
上の世代の様な塾・予備校への偏見がなく、
むしろ
自分が恩恵を受けた世代なので、
教育業界に期待をしました。

しかし、残念ながら、
自分が受験生だった頃の信頼感は薄れ、
逆に、
不信感すら抱えてしまったのです。
だから、
塾・予備校の広告を
全部疑ってしまうのです。

苦労して稼いだ金で
子供に良い教育を残してやりたい。
これは親の自然な感情でしょう。
違いますか?
塾・予備校の話、広告を全部疑ってしまうのです

予備校文化

駿台にあの伊藤和夫、
代ゼミに現国・堀木、
英語・潮田五郎、青木義巳、山口俊治
といった伝説の名物講師たちがいた頃、
浪人生でした。
その頃受験生だった世代は、
現在50歳代以上でしょうか。

予備校時代、
堀木先生が授業で本を薦めると、
代ゼミライブラリーはもちろん、
近くの書店でも、
その本はすぐに売り切れました。
薦められた本は
受験参考書の類いではありませんよ。

代々木校で授業を受けた後、
売り切れを何度も経験した私は、
授業後、
急ぎ新宿紀伊國屋に直行して、
本を買い求めました。
売り場のフロアーから出ようとすると、
すれ違いざま背中の後方で、
「売り切れだ!」
との声が聞こえたことを覚えています。


自ら科学雑誌Newtonを創刊した
地球物理学の世界的権威、
故・竹内均先生は、
東大教授を退官後、
Newton初代編集長兼
代ゼミの副校長をされていました。
    
作家の故・小田実氏は
代ゼミの寮長をされながら、
TIMEを教材に授業をし、
著作活動もされていました。

今から振り返ると、
「予備校文化」があった時代でした。

灘校へ大量の合格者を出し、
ラサール石井氏や和田秀樹氏も通った
伝説の入江塾。
個性溢れる塾の先生が全国にいらした。

大学に入学する前、
「予備校文化」で
知性の扉を開いてもらった若者が
大勢いた時代でした。
 

それに比べ、今は、
投資家向けのプレゼンかと錯覚する広告冊子、
面談では甘言を弄した営業トーク。

例外もあるでしょうが、
マニュアル化・ビジネスモデル化して、
肝心の教育の中身がおろそかでは。
予備校文化
医学部受験でつまずきを感じたら、 とまり木
  • 今の教育業界が陥っている構造的な悪循環から
    どうすれば逃れられるのだろうと途方に暮れます。

少し長いのですが、
尊敬する故・伊藤和夫先生が
晩年にお書きになった
『予備校の英語』(研究社出版)

をお読み下さい。

経営者がみずから教え、
生徒を直接に指導することに喜びを感じ、
教員相互に一つの連帯意識があること、
そのためには、
経営者が直接管理できる以上に
学校の規模を拡張することなど
考えてもみないことが必要だとわかります。

とまり木もこうありたい。

生徒を直接に指導することに
喜びを感じてきたからこそ、
受験を終えてなお
私たちを慕ってくれるのでしょう。
これこそ、
とまり木の財産です。
 
予備校文化

尊敬する故・伊藤和夫先生が晩年にお書きになった『予備校の英語』(研究社出版)から引用

戦前から戦中、
戦後の初期(昭和20年代)までは、
予備校の経営者は
教職の経験者が大半であり、
・・教員相互の関係も、
個人的な血縁関係・師弟関係
などに支えられているのが普通で、
授業内容も、
中心になる個人の考え方が
そのまま学校の姿勢である場合が
大部分であった。
経営者も、
もともと教師の出であるだけに、
・・自分が直接管理できる以上に
学校の規模を拡張することなど、
考えてもみなかったのである。

・・情勢が変わってくる。
・・予備校を一つの事業とし
経済活動としてとらえる考え方が生まれ、
教師の経験を持たぬ経営者による予備校が
次々に現れるにいたった。
・・古い経営者はみずから教えること、
生徒を直接に指導することに喜びを感じた。
しかし、新しい型の経営者には
その喜びはわからない。
予備校を一つの事業として見る時、
経営者の真価と功績を図る尺度、
経営者の仕事への情熱を満足させるものは、
学校の規模の拡張と
生徒数の増加という
量的視点しかないのである。

そこから出てきたのは、
・・予備校自体の拡張につぐ拡張に
意欲を燃やすことであった。
・・教員構成の・・変化は、
当然のことながら
教育内容に大きく影響してくる。
予備校が小規模である間は、
教員相互関係は
・・血縁や友人・師弟関係に支えられ、
学科は異なっても
そこには一つの連帯意識があった。
・・ところが、教員数が増大し、
大部分の教員は
・・同じ学校に勤め同じ生徒を教えていても、
出講の曜日がちがえば
顔も名前も知らないということになってくる。
教育内容についても、
学校というのは名ばかりで、
教員相互の連絡がないため、
教材に無意味な重複と
重要事項の脱落が生じてくる。


医学部受験でつまずきを感じたら、 とまり木
 

伊藤和夫先生について

・マサオ・ミヨシ著
『抵抗の場へ―
あらゆる境界を越えるために、
マサオ・ミヨシ自らを語る』

・江利川春雄著 
『受験英語と日本人 
―入試問題と参考書からみる
英語学習史』

をご覧下さい。

敗戦直後。
学生に人気の専攻は哲学科でした。
そんな時代に、
東大哲学科を主席で卒業し、
東大に助手として採用されながら、
家庭の事情やご自身の健康状態から、
駿台の前身となる学校で
教鞭を執り始めた若き日の伊藤先生。

片や、単身アメリカに渡り、
後年、アメリカの著名な大学で
日本文化を教えた故・マサオ・ミヨシ。
世界的な知識人・チョムスキーとも親交が深かった
マサオ・ミヨシは
伊藤先生と旧制高校時代からの友人。
生涯出会った人物の中で、
伊藤和夫ほど頭のよい人は稀だった
と回想しています。

後に大ベストセラーを次々世に出す
山口俊治先生は、
若き日、
伊藤先生と同じ学校で
英語を教えていました。
伊藤先生らと勉強会合宿をして
旅館に泊まり込み、
英語をどう教えるかについて
議論を重ねたそうです。

 

こうしたエピソードはほんの一例に過ぎません。




 
伊藤和夫先生について
医学部受験でつまずきを感じたら、 とまり木

いみじくも、おっしゃる様に
「予備校文化」と呼べる時代がありました。
そして、「予備校文化」は消えたのです。
あの時代、
若者に知性の扉を開いてみせる経験豊富な大人が、
なぜあんなにも塾・予備校にそろったのか
ー 今から思うと、
時代背景や偶然の要因も無視できません。


民間試験導入をめぐる教育行政の混乱に続き、
コロナ後、教育を取り巻く環境には
混乱と変化が生じるでしょう。

 

とまり木の講師は、
2010年頃から、
教室での授業に加え、
オンライン教育を取り入れ始めました。
そして、10年あまり経験を積み、
やり方のコツがつかめたので、
全面的にオンライン教育に切り替えました。

新たな教育資源が登場し、
内外の豊富な動画、
国境を越えて簡単に手に入る原書、
定額で使い放題の通信環境を
私たちは手にしています。

これらを活かし、
生徒の成長に手応えを感じる喜び、
教える過程で味わう
知的交流の喜びを追求したい。
これがとまり木を立ち上げた大きな動機です。

 

伊藤和夫先生について

医学部受験でつまずきを感じたら、 とまり木

余談ながら、
「やがて、おそらくは四半世紀を隔てて、
なぜあの時代、
つまり20世紀の一部の日本人は
あの環境であんなに英語が読めたのか
という問いかけがなされる時が
必ずやってくる。」
と1997年1月時点でお書きになり、
伊藤先生は旅立たれました。

近時、
これを裏付けるかの様な動きが
識者によってなされています。
例えば、
新井紀子氏が一連の著作で、
日本語読解力が低下していることを
真剣に訴えているのは、
伊藤先生の予言が的中したからでしょう。

英語が読めた人たちは、
例外なく、
高度な日本語読解力を
そもそも持っていたのですから。

 

・『AI vs.教科書が読めない子どもたち』
・『AIに負けない子どもを育てる』



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医学部受験でつまずきを感じたら、 とまり木